| 愚者の楽園♪参議院選挙特別企画又吉イエス直撃取材 | |||
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| 〜世界経済共同体党本部潜入報告〜 | |||
| 6月1日夕方…私とKくんとノブの一行はマタヨシストの聖地、世界経済共同体党本部を目指して下落合へと歩を進めたのですが、まだ見ぬ聖地を目指す我々一行の前に立ちはだかったのは住所の壁でした。そう、神から下賜された名刺には番地までしか書いておらず、その番地にはいくつものマンションが乱立していたのです。それはまるで、我々を拒むかのような、スイスペのような演出でした。しかし、我々はついに通り沿いの郵便受けに、まるで遺跡の隠された碑文の如くに小さく書かれた「世界経済共同体党」の文字を発見し 突入を敢行したのです。 このようにして、唯一神は我々の前に姿を現しました。普段ならこの時間はもう事務所にはいなかったのですが、今日は政見放送に使う演説を収録するために、偶然いたんだそうです。神はいる…そう思えた瞬間でした。 そして、準備をするからと少し外で待たされた後、中へ通されました。なんと神は、我々の為に机と扇風機をセッティングしてくれていました。ちなみに、小さい流しにはカップラーメンの空容器が置いてありました。聞けば、我々が訪れた時はカップラーメンを食べていたとのことでした。昼もカップラーメンなんだそうです。人はパンのみにて生きるにあらず、カップラーメンにて生きるということなのでしょうか…。 そして、ついに神との対話が始まります。 1.沖縄での選挙公約について 参議院選挙ではまた東京から出馬するのですが、なぜ沖縄を飛び出したのか…そのお話がありました。そして、県知事選時の公約「沖縄県民が唯一神又吉イエスを次期沖縄県知事にしないというなら、本世界経済共同体本部は東京に持って行く。それは沖縄県民の子や孫・ひ孫達、更に末代までの沖縄県の恥になるが、それでもいいのか。」という公約通り、知事になれなかったから東京に来たということを再確認すると共に、末代までの恥の意味が、又吉が東京に行って、その存在が日本中に知れ渡ることが沖縄の恥なのではなく、又吉を当選させないことが恥であるということを知ることとなりました。 2.又吉天地創造 現在のテロや戦争を止めることが出来るのは唯一神又吉イエスしかいないらしいのですが、その理由は、そのために唯一神又吉イエスが再臨しているからであるとのことです。そして、神である又吉イエスが人間をつくり、さらには頭で声を出して世界を作ったと主張するのでした。 3.「腹を切って死ね」の理由 これについては、「日本では腹を切って責任を取るという行為が武士の社会ではありました。」というお答えを戴きました。要は「責任をとれ」と言いたいだけのようです。「死ね」というところではなく「腹を切れ」というところにポイントがあるようです。「ガケから飛び降りて死ねとか首を切って死ねとか言えるわけがない」んだそうです。「万死に値する」みたいなもんですね。 4.対立候補が「人を殺している」という理由と「地獄の火の中に投げ込む」という意味 戦争や殺人事件や公害や産業事故で死んでいるのは政治が悪いからだから、政治家が人を殺しているという事のようです。そして、それを直せるのは唯一神又吉イエスしかいないので、新人対立候補であっても、神の当選を阻んでいるのだから人を殺していることになるんだそうです。 地獄の火の中に投げ込むとは、神のなかでは「地獄=火」という構図があり、端的に「地獄に堕ちるぞ」と言っているだけのようです。ただ、責任のとりようによっては地獄に入れない可能性もあるそうです。ちなみに、その辺はフィーリングで理解出来るんだそうです。 5.絶叫演説の理由(熟知すべし!) ぶっちゃけた話、演説は普通のラジカセの申し訳程度に付いてる内蔵マイクで録音していて、大声を出さないと声が拾えないってことで、ああなってしまったようです。神の機械音痴から発した悲劇だったようです。 ![]() これが神のダビング機です。 …したがって、今回の政見放送では普通に話すとおっしゃってました。 6.年金について 色々おっしゃってますが、要は未納です。 7.北朝鮮政策について 現在、大きな懸案となっている拉致問題の解決方法を聞いてみました。すると、「責任を追及することで解決する」というお答えを頂きましたが、具体性がないので、さらに聞くと、神は総理大臣になったら、北朝鮮と韓国に対して「合併して世界共同体朝鮮もしくは高麗になれ」と命じるプランがあることを表明なさいました。 8.小禄塾時代について 近頃ネットを賑わし、マタヨシストのみならずこの文に触れたひとりびとりの心に熱い感動を与えてくれた、イエスと掘っ立て小屋のお話を聞くことが出来ました。また、恐らくではありますが、神もまたこの文章の著者様を覚えていたようです。ずっと離れていても、お互いを忘れることのない美しき師弟関係を垣間見ることが出来ました。そして昔の話をするときの神の笑顔はまさに好々爺という感じで、非常に好感が持てます。微笑みながら話せる過去があるというところに、この方の過去が、苦労はあっても、そればかりではなく(そのまま普通に「お付き合い」とやらを続けていればよかったのに…と思わせるほどに)充実したものであったことを伺わせます。 9.事務所内部概観 ちょっと広めの普通のワンルームです。特に目に付いたものを掲げておきます。 ・現代用語の基礎知識 ・朝日新聞…確認できたのは朝日新聞のみでした。 ・英語辞書と桐原書店の英語の参考書…国連事務総長になったときの為に勉強中のようです。英語の参考書は英文科卒業の奥様からの贈り物なんだそうです。かなり使い込んでいる感じでした。 ・日本語アクセント辞典…標準語で話すように心がけているご様子でした。その割にあの演説なんですが、それも致し方ないというのは、5でご説明した通りです。神なりにがんばってらしゃるようです。 インタビューを終えて 又吉氏は非常に真面目で何事にも熱心な方でした。そして、苦労もなさった方のようでした。中央大学に入るのに一浪して東京の予備校に通ったという話をしてくださったのですが、当時は沖縄返還からまだ間もないこともあり、沖縄での勉強があまり役に立たなかったんだそうです。この辺の話は、日本は確かに東西対立によって引き裂かれたということはなかったとはいえ、このような形で二つの国家に翻弄されて苦労された方々がいるということを、改めて再認識させられることになりました。そして、沖縄で塾を開いたことが次世代にこのような苦労をさせまいとの想いからであろうと思いますと、その情熱には頭が下がる思いでした。そして、塾経営の後に牧師をしたそうですが、主に精神病の方を対象に牧師活動をなさったそうなのですが、その頃は精神を病んだ方への偏見が強かったそうで、この辺にも弱者救済という又吉氏の想いが感じられます。子供、病人…同列に論じることは出来ないにせよ、とにかく社会的弱者を救いたいという情熱が又吉氏の根底にあるようでした。 ただ、弱い人を救うというのが一般論として正しいとしても、それを行おうとしている自分が最優先で正当化されると思ってしまったところが、彼の主張をいびつなものにしているのではないかと思いました。私は例の本を読んでいませんので、今回のインタビューのみからの判断となってしまいますが、その範囲で彼の主張を端的に言えば、「現在の世界は危機に瀕している、私はそれを止めたい。従って、私に反対することは世界を危機においやることだ。」ということになります。例えば「公害は病気を引き起こすので、公害がでないようにすべきだ」と言うわけです。しかし、具体策が無いのです。社会の病巣を見つけてそれを指摘しているにすぎないわけです。現実社会では、公害が健康に悪影響を及ぼすとはいえ、工業生産によって生活を維持し、当該生産物によってよりよい生活を送っている方もいるわけで、公害につき規制を設けたり、光化学スモッグ注意報によって注意を喚起しつつも、ある程度の排気ガスなり工業排水は認めるという形で双方のバランスをとるわけですが、又吉氏は自己を神として絶対善を信じていますのでそれが出来ない。結局、やめろと叫び、やめない奴は悪人で地獄に堕ちるぞと叫ぶだけなわけです。そして、具体策が出たとしても、全ての人間が農業しろといったおよそ実現可能性のないことを言ってしまうわけです。例えば、北朝鮮政策のVTRでも、「北朝鮮に責任を求めます」とは言うものの「秘策はない」と言うわけです。正しいと思うことを言い放つだけなわけです。政治というのは、現実問題として社会に存在する様々な利益の対立のバランスをとることですから、清濁併せのむ必要があるわけです。これが出来ない氏はやはり、政治には向かないと思わざるを得ませんでした。 それに比べて、教師時代や牧師時代の氏が普通にいい仕事をしているように見えるのは、そういった職業では、端的に善行を行うことが出来るし、またそれが美徳とされるからではないかと思います。教師であればひたすら子供のために尽くせばよいし、牧師であればひたすら救いを求める方のために尽くせばよく、自己を犠牲にすれば、それについて対立する利益が無いわけです。これが政治であれば、特に多様な意見を認める民主主義であれば、対立する双方の意見を聞く必要があるわけですが、絶対善を信奉する氏としては、どちらかについたら、もう一方を悪とせざるを得ず、しかも、現実には両方にある程度の言い分があることが通常ですし、正しさの基準も立場によって変わりますから、結局、一方の立場から問題点を指摘することは出来ても、それが解決に繋がることがないのです。さらに言えば、そんな両方の言い分のうち、自分の与しない方の意見を悪と言い切る為には、自分が神であると思うしかないわけです。 確かに、教師や牧師の時代、さらにはそれよりも前の時代に大きな力によって翻弄される人間の悲哀を痛感して、これを変えようと政治の道を志そうと思ったことはわかる話ですが、政治の道を志すには氏はあまりにも純粋すぎた、そういうことなのではないかと思います。一方において無条件で優しいと、一方で非寛容を生み出して柔軟性を欠いてしまう…なんとも切ないのですが、結局そういうことなのではないかと思いました。 |